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て言うほど行ってない人間の

2015/東京国際映画祭③

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『少年班』(画像はもらったシールで、アニメ映画ではない)

『 少年班 』(中国)
                         
これ、よかった〜。2時間もないのにいろんな要素が詰まってる。
コメディでもあるけど、泣けた。実話だからスゴい。

 



中国特有の“少年班”は1978年に開始された。IQの高い子どもを全国
から集め、北京大学をはじめとするエリート校でいちはやく英才教
育を受けさせ、国家の役に立つ人材を育てようとする制度である。
本作の舞台は98年、西安交通大学に設けられた少年班。担当教師の
チョウは全国を回ってふたりの少年少女を集め、彼らが到着すると
ころから物語は始まる。優秀な者が多いが、なかには普通のIQなの
に紛れ込んでいる者もいる。少年班の面々は数学などに特別な才能
を発揮するが、他方、集団での協調性に欠けていて諍いが絶えず、
また思春期特有の片想い、嫉妬、横恋慕などなど、こちらの面は他
のクラスと何ら変わらない。そんななか、チョウ先生はそれぞれ異
なる才能を持つ5人を選び、IMC(国際数学コンテスト)の優勝に向
けて訓練を開始する。『唐山大地震』などの編集を担当したシャオ・
ヤンの自伝的な監督デビュー作。
少年班は今日では縮小されてしまったが、本作では登場人物のその
後の人生にもふれ、中国にとっての少年班の意味を問うている。


バイきんぐの小峠みたいな頭の子、9歳だか10歳くらいの飛び級
生意気チビッ子、クールで笑わないが恋してる紅一点、リーダっぽ
い子、実はIQが高くない子・・・。
仲間になるには個性が強すぎ、かといってフツーに入学しているハ
タチ前後の学生たちの間では完全に浮く彼ら。でもチビッ子とひと
りが組んで女子学生から注目を浴びるシーンは笑いの連続だし、悩
める場面ではこちらもうるっとしてしまう。
IQ高くない男子がついに責められるところはツラい。しかし親のゴ
リ押しでチームに入って先生が見抜けなかったのではなく、実は先
生には彼を入れた考えがあったのだ。それに、彼らだけでなく、こ
の先生もキョーレツ。これは脚色なのか本当なのか不明だが、不正
とかいろいろめちゃくちゃなのである。

なんせ5人+先生のこともあるからいろーんなエピソードで物語が濃
い。3時間くらい見させてもらった気がしたが、105分だったとは。
笑って泣いて、終盤はものすごく切ない。さすが中国映画。



『 パティーとの二十一夜 』(フランス)
                         
真相は闇の中、なのか・・・不思議なおわりかた。


盛夏。キャロリーヌは疎遠であった母の訃報を聞き、パリから南仏
の小さな村へ。母が遺した家に着くと、管理人のパティーが出迎え
てくれた。ふたりで散歩に出かけるが、パティーは自分の性生活を
赤裸々に語りはじめ、奥手のキャロリーヌは唖然とするばかり。そ
んななか、母の遺体が消えてしまう。森の中のミステリアスな事件
というラリユー兄弟らしい設定に、欲望に臆病なキャロリーヌの心
の揺れが絡み、エロスとタナトスへのおおらかな賛辞に満ちた大人
のコメディドラマ。どこか現実離れした空間を構築するラリユー・
ワールドに加え、フランスを代表する芸達者たちの競演も見もの。
サンセバスチャン国際映画祭コンペティション出品作品。


主人公は、パッと見ぃ若いので、おでこのシワは多いが20代かもと
思った。ら、40代のシッカリ中年だった。それでもパティーの下ネ
タに眉をひそめ、わけのわからない雰囲気に飲まれていく。そこで
出会う青年や、母の恋人だと名乗る高齢男性、村の人々や祭り…ホン
ト不思議な物語で、よくこんなん考えるなぁ、と思う。

後半でいきなり主人公の独白謎解きが始まり(コナンか、とツッコ
みたくなる)、これで幕引きなのかと思ったら、まだまだ続いてい
くのだ。犯人がわかったところで解決、なのではない。
なんだか主人公も観客も、夢を見ていたのではないか、というよう
な感覚かな。フィクションだけど。
詐欺みたいなアヤしい登場人物も、言及されることなく終わる。

監督のラリユー兄弟の作品は、2年前のマチュー・アマルリック
演作と今作しか知らない。でもどちらも、シリアスなようなファン
ジーでもあるような。
またこの監督の映画を見たいなと思った。



『 今は正しくあの時は間違い 』(韓国)
                         
後半が間違いだったということか。映画監督の妄想ということか。
なんだかわからないが、おもしろく見られた。


映画監督のチュンスは自作の上映会で講演するため水原の町を訪れ
る。1日早く着いた彼は観光地で美術家のヒジョンと出会う。喫茶店
で話が弾んだふたりは夕食をともにし、ほろ酔いのままヒジョンの仲
間の溜まり場まで足を伸ばし、さらに親密になっていくが・・。
ここまでが前半で、後半はほとんど同じ設定の物語が反復されるが微
妙にズレていく。ホン・サンスお得意の“主人公の映画監督が経験する
出会いと別れ”が本作でも描かれるが、前半と後半の不思議な連結はこ
れまでの諸作には見られなかったもので、ホン・サンス・マジックの
新たな境地といえよう。ロカルノ国際映画祭2015で最高賞(金豹賞)
と主演男優賞(チョン・ジェヨン)をダブル受賞。


見かけた女性に声かけてお茶して食事もして、単なるナンパ?と思う
が、彼女とちょっと口論になるところなど笑える。しかも映画監督は
既婚者だと言うし。で、前半であまりうまくいかなかったことが、後
半では口論しても、なんか良さげな雰囲気になる。
こうなりたかったということなのかな。
有名だと思うが、この監督のこと知らないからこの手のも慣れていな
い。後半で、女性のアトリエの場面で少し色づかいやカメラの角度が
違っていたので故意で何かあるのかなと思ったがわからなかった。
わからないけど、なんとなーくの感覚で笑って見られた作品。



『 ミューズ・アカデミー 』(スペイン)
                         
おもしろかった〜。内容が難解な部分も多々あるので寝そうになる。
しかし、教授と妻の言い合いがめっちゃ笑える。


バルセロナ大学哲学科。イタリア人のラファエレ・ピント教授が、
ダンテ「神曲」における女神の役割を皮切りに、文学、詩、そして
現実社会における「女神論」を講義する。社会人の受講生たちも積
極的に参加し、議論は熱を帯びる。生の授業撮影と思わせる導入部
を経て、教授と妻の激しい口論へと移る。やがて数名の受講生の個
性も前景化して、教授の行動の倫理が問題となってくる。ドキュメ
ンタリーとフィクションの境目を無効にするJ・L・ゲリン監督の本
領が発揮される新作。境目が無効になるのはジャンルだけでなく、
言語(授業ではスペイン語、イタリア語、カタルーニャ語が混在す
る)、文学と生活、欲望とセックス、聖と俗、そしてありていに言
えば、本音と建て前である。ピント教授は実際のピント教授が“演じ
て”おり、その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化
する。哲学的思考の射程を日常レベルで測り、下世話に堕ちずに映
画の美を高い次元で達成するゲリンの新たな傑作。


↑ホラ、難解だ。「哲学的思考の射程を…」って!なんちゅう解説。
ま、その内容はちょっと置いといて。
ほんとドキュメンタリーかと。講義や学生のセリフが妙にリアルで。

教授は授業ではけっこうエラそうに持論を展開していても(といって
も学生に猛反論されたりもするのだが)、家に帰るとなんだか奥さ
んにタジタジっぽいところが現実的・庶民的でおかしい。
妻は、あぁいえばこぅ言う強い女。夫の言葉のはしばしを常につか
まえて、本人が無意識のつもりでもジェンダーバイアスというか“男
尊女卑”の片鱗がチョイとでも見えるとすぐ「なぜそうなるの」と離
さない。
一番笑ったのは、本棚を整理する話で、夫婦それぞれの本をどこに
どう置くかで折り合いがつかず「わかったわかった、じゃあ奇数が
私で偶数は君にしよう」と解決案を示したつもりが「なぜ私が2番目?」
と妻はこうくるのだ。頭抱える夫。
これ、「左がボクで右がキミ・・」でも同じなんだろうな。“最初と
されているような概念”に自分をあてはめて次が妻、は許せないのだ。


夫は若い女子学生と付き合ったりもしている。たぶん教授は隠せてい
るつもりでも妻にはバレバレ。男ってバカだね〜。妻はけっこうオバ
アさんに見えるのだが。
それ(浮気)があるから彼女は攻撃的でもあるのだろう。日々、ほん
とスゴい。で、妻は遂にその学生を呼び出して男女論のようなことを
説き始めたり。間違っても感情的に「このドロボウ猫め!」みたいこと
を直接には言わない。客観的(抽象的)事例で論破するのだ。オバア
さんなのに、すげー。年の功でもあるかも。
女子学生が出ていって「勝ったわ。フッ」みたいな。すげー。

難しく高尚なカンジでミューズ論など構築していても、結局、フタを
開けてみれば男女はだいたい俗っぽいことばかりしてる。それが現実、
ってことか、な。
教授は、その女神論で自分の行為を正当化しようとしてるんだろうけ
ど奥さんには「だから不倫して何が悪いねん」とは言えないのである。
そんなん言ったらコテンパンに反論されることわかってるからだろうね。
クチでは絶対勝てない。
おもしろかったのでもっかいじっくり見たい。



『 父のタラップ車 』(トルコ)
                         
イイ話だった。よく考えたらツッコミどころ満載なのだが、上映作
品の紹介を読んで見たい!と思ったし、インパクトあるビジュアル。


空港で清掃員をしているファズは家ではまったく威厳がなく、妻や
娘たちから愛想を尽かされている。ある日、空港で中古車が安く売
り出されると聞いたファズは購入しようとするが、それは乗客を飛
行機に乗り降りさせるための階段が荷台から伸びているアメリカ製
のタラップ車、しかも廃車同然のボロだった。友人たちから嘲笑さ
れ家族にも呆れられるが、そのとき町内で火事が起こり、駆けつけ
たファズはタラップ車を使って上階の住民の救助に成功。新聞に報
じられて一躍ヒーローとなる。それがきっかけで工事現場の高所の
塗装やサッカー会場のVIP用の観覧席など、様々な用途でタラップ
車は大活躍し、収入の増えたファズ一家に幸せが訪れる。しかし道
路交通法との関係で警察が目をつけはじめ・・・。
新鋭ハサン・トルガ・プラット監督による、庶民のささやかな夢を
描いた小市民ドラマ。ダメ親父の人生を一変させたアメリカ製のタ
ラップ車とは何を意味しているのだろうか。


もう↑このまんま。最後にどっちに転ぶのか、ってな話だろ。と容
易に想像がつく。
それでもとても楽しそうだと期待していた。期待通り。ただ、主人
公が活躍すればするほど、夫をけなしていた妻がご近所に自慢すれ
ばするほど、「あ〜、ほどほどにしておかないと…」とフィクショ
ンなのに心配になってくる。
想像通り、ラストは困ったことになるのだが、最後に残るものは…。
切ないような、ほんわかハッピーエンドのような。


妻は夫に対する愚痴をこぼすたびに、母親に「でも、いい人なのよ!」
を繰り返す。出世しないけど、稼がないけど、外見もパッとしない
けど。でもいい人なのよ。
しかし“イイだけの人と結婚してしまった自分”に腹が立つのだろう。
娘も、父親が清掃員だと言えず、空港で重要ポストについているよ
うな嘘を同級生につく。だったら、最後にタラップ車なくなったら
元に戻るじゃないか。…ま、戻ったらただのヒサンな物語だからな。
そこは予想通りのラストってことで。
モノがなければダメ・高級なものを持ってるほうがステータスみた
いな、でも最も大切なものは何、と問いかけるような作品。
展開は楽しくてワクワク。



『 私の血に流れる血 』(イタリア・フランス・スイス)
                         

ぎょえ〜、わけがわからない。中世から急に現代に飛んだの、なぜ。
しかししかし、映像が美しすぎる。音楽もクリアでキョーレツ。


時は17世紀、ある教会で神父が自殺。自殺は許されず、正式な埋葬が
行われない。神父の弟は教会を訪れ、兄の死は魔女と取引をした尼に
そそのかされた結果だと証明しようとする。尼は拷問にかけられる。
現代に時間は飛び、今や朽ちた教会をロシアの富豪が買取ろうと下見
に来る。しかし内部には時間の流れを拒否するかのようにひっそりと
住みついた老人が。バンパイアと噂される老人は、夜に外出して現代
の街を観察する。名匠ベロッキオ監督の出身地であるイタリア北部の
町ボッビオを舞台に、時空を超えた物語が展開する。支配的なものへ
の批判という側面はあるものの、ふたつのエピソードを繋ぐ真の意味
や理由の解釈は観客に委ねられている。
世界を支配する「時間」という概念と戯れ、メタファーと謎と映画的
刺激に富んだ、監督の長いキャリアの中でも最大の問題作。
ベネチア映画祭国際批評家連盟賞受賞。


こわい。前半こわい。魔女狩りのような、拷問のおそろしさ。映像と
音楽がクッキリすぎてまるで目の前で行われているようなリアル。
魔女として捕らえられた美女の微笑が…何を意味しているのか、こわ
い。神父の弟は兄の無実(?)を証明したいのに、その表情に吸い
込まれてキスをする。彼女は後日いよいよ火あぶりに。どうなるんだ!
…ところが、池?に鍵をポチャーンと投げ入れた途端、場面は現代に。

むむっ。現代っぽい真っ赤な車に乗った男性2人組が表れるが、建物
はまさに、あの時の。あの美女が閉じ込められていた部屋もそのまま。
“禁域室”だったかな、この部屋がカギのようなのだが…物語はどうつな
がっているんだろう。

現代の登場人物のひとりが中世の弟かな、となんとなく思うし(違う
かも)、魔女にされた美女はウエイトレスかも(違うかも)、私には
難しすぎてわからない。ラストもどんなだったか忘れてしまった。
ただ、現代の老人は失踪していて、最後のほうで奥さんに見つけられ
て「アンタでしょ!」てシーンがあったが、だからなんだったんだろ。
昨年鑑賞したドイツ制作の宗教映画のようなストーリーかと期待した
が全然違った。さまざまなメタファーかわかれば、タイトルの意味も
「なるほど!」になるのかな。



『 三日月 』(インドネシア
                         
めちゃくちゃよかった。ちょっとコメディでもある。宗教感の全く異
なる父と息子。宗教に限らなくても、世代の違い等、普遍的なドラマ。


イスラム暦太陰暦であり、月が隠れる期間のあとに月が見えた時点
で暦月が切り替わる。この「新しい三日月の初見」は重要な行為であ
り、地域の長老たちがそれを行う──本作の背景にあるこうした事情
を頭に入れておこう。敬虔なムスリムのマフムドは新しい月を初見す
るため、月の見える縁の地を半世紀ぶりに訪れようと計画する。家族
は体調の悪い彼のことを心配し、海外へ出る直前だった息子のヘリを
無理やり同行させることにする。ヘリは父と価値観が合わず、ふたり
は道中すれ違いを繰り返すが、ある村でイスラム原理主義グループが
キリスト教のミサに乱入するところに居合わせたヘリが負傷する。こ
の事件をきっかけにヘリは信仰について考えはじめ、父との関係も変
わっていく。はたして父子は月を見ることが叶うのか。インドネシア
の新鋭イスマイル・バスベスの、『月までアナザー・トリップ』
アジアフォーカス・福岡国際映画祭2015出品)に続く長編第2作。
父と子のロードムービーに宗教的な不寛容という現代的な問題を盛り
込んでいる。


息子はたしか、ボランティアだかで海外支援みたいな事業に携わって
いて、父と折り合いが悪いので何年か家に帰ってなかったという筋だ
と記憶している。でもどこかの国へ行くためのパスポート申請が必要
で、書類のために帰宅。ラマダンだったからか、ほかの理由か忘れた
が、姉が公務員なので融通してくれと頼み、そこで姉が「私に不正さ
せる気?」・・交換条件に父に付いていけと命じたのだった。

宗教感の全く異なる父と息子。そりゃあもう、合わない合わない。敬
虔なムスリムである父は1日5回のお祈りを欠かさず、息子は無宗教
理解できない。でも宗教対立を目の当たりにして、親子はおそらく同
じ思いを胸にした。ふたりとも正義感が強いのだな、とよくわかる。
シリアスにジーンとするシーンが続くも、解決方法が笑えたりもする。
途中である人に“けんもほろろ”にされた経緯が、あとでうま〜く回収
されるのだ。

終盤に、ちょっと切ないことが起きる。でもラストはとてもさわやか。
無宗教の私だが、最近は映画祭でイスラム教が絡んだ映画を見ること
が増え、そのストーリー性には興味がある。
この作品もシリアスとコメディの緩急が絶妙な秀作。見てよかった。




『 俺の心臓を撃て 』(韓国)
                         
これもよかったな〜。主演ふたりも、脇役も光っていた。


同じ日に精神病院に送られた25歳のスミョンとスンミン。スミョン
は19歳のときに母が自殺したショックで精神に異常をきたし、他方、
世界的なパラグライダーの選手だったスンミンは兄弟との遺産相続
で揉めた末の入院であった。スミョンは甘んじて入院生活を受け入
れるが、スンミンは脱走の機会をうかがっている。はたして彼らが
自由になる日は到来するのか。ムン・ジェヨン監督は漢陽(ハニャ
ン)大学と韓国芸術綜合学校(K-Arts)という映画教育の名門2校で
演出を学んだ俊英で、デビュー作となる本作では、精神病院を舞台
に一風変わった入院患者たちと厳しい医師・看護師らが繰り広げる、
男たちの世界を描いている。韓国ドラマで日本でも人気上昇中の新
進スター、ヨ・ジングとイ・ミンギが共演しているが、とくにスミョ
ン役のヨ・ジングは子役時代からのキャリアを誇り、かつては“主人
公の幼少時代”といった役柄が多かったが、近年は青年スターとして
めきめき頭角をあらわしてきた。なお、原作は人気作家チョン・ユ
ジョンの同名小説。


アクションというかケンカのシーンが多い。ケンカっぱやいスンミ
ンに対しておとなしい感じのスミョン。全然違うふたりが、仲良く
なって脱走を図る仲間に。失敗して電気ショック療法を受けるとこ
ろでは、あぁっまさか『カッコーの巣の上で』みたいなラストにな
るのでは、悲しすぎる!!と思ったがそうはならなかった。ほっ。
同じ病棟患者はずいぶん年上ばかりだが、彼らとの交流がコミカル
なのが良い。まず一番はじめに現れた、病院を案内する親切な職員
だと思ったら、勝手に白衣を着た患者やったというのが笑える。
でも、ふたりが入院した理由はもちろんシリアスで、途中から回想
が入って明かされていくところはフィクションながら心が苦しくなる。
スンミンの、精神病院には「イカれて入る人と、入ってからイカ
る人がいる」というセリフが印象的。


“ホクロ”とあだ名を付けられている看護師はイヤなヤツなんだけど
どっか抜けていて、悪人というほどでもないし(ちょっと暴力的だ
が)、ある医師なんて、実はこの人絶対イイ人やろ、と最初からわ
かる。終盤の表情がすべてを語っていて、ホレてまうやろー!と叫び
たくなる。いやホレないけどさ。きっと実力派俳優なのだろう。
名前を知りたいがわからないのが残念。

ラストは、切ないようなハッピーエンドのような。
笑ってジーンときて、いい時間を過ごさせてもらった。




『 孤島の葬列 』(タイ)
                         
通好みなのかな・・・私には響かなかった。


タイ南部のイスラム地域を旅するライラー。やがて彼女は眼前に姿
をあらわした離島へと渡り、不思議な体験をする。監督(『ワン・
ナイト・ハズバンド』)、プロデューサー(『稲の歌』/TIFF14出
品)、批評家など多才な顔を持つピムパカー・トーウィラの長編第2作。

あらすじを見て、これまた「ほぅ、離島へ行って不思議体験か」と
頭に入れていた。ら。
『ヴィクトリア』の時のように、孤島へ渡るのは始まって1時間くら
いたってからやっとなのだ。テンポが遅い。
たしかに不穏だし、夜になる頃に渡ったからしょっちゅう停電にな
る地域ってことで暗いし、慣習が違う島での葬儀が始まったりと不
思議な雰囲気だ。でも、それで・・・なんだったんだろう。
死生観とか宗教観とか何かしら考えるところがあると、興味深く見
られるのかもしれない。
私はただ、眠りはしないけどずーっとずーっと画面を見ていただけだ。

でもラストに、小舟を漕いで対岸に送ってくれた男性が一緒にバン
コクに行く、と言い出す。主人公ライラーは、仕事とか住む場所と
か何もないのになぜ突然そんなことを決めるのか、といぶかる。
男性は「君たちだって、孤島に渡ったじゃないか」みたいなことを返
す。このセリフはなんとも不思議だ。何を込めているのだろう。



『 シュナイダーvsバックス 』(オランダ/ベルギー)
                         
わけわからん!なんやのコレ!!なのに、めっちゃ笑える。


家族が自分の誕生パーティの準備をしているなか、シュナイダーに
仕事の電話が入る。「バックスを殺せ」。一流ヒットマンという裏
の顔を持つシュナイダーは家を抜け、支度を整え、作家のバックス
が住む湖畔の家を目指す。それは夜のパーティまでに帰れる簡単な
仕事のはずだったが…。『ボーグマン』(13)で観客を唖然とさせ
た鬼才ヴァーメルダム監督の新作は、ダークで形而上的な内容で
あった前作に対し、光に満ちてストレートな“対決もの”である。ふ
たりの男の対決に加え、主役となるのは広い空間、水、そして生い
茂るアシ。光をふんだんに取り入れるスタイリッシュな映像に合わ
せて、計算し尽くされた美術造形も美しい。西部劇ジャンルを換骨
奪胎し、対決のための対決といわんばかりにアクションから意味を
奪った本作は、監督によれば「ミス、バッド・ラック、そして偶然
をめぐるゲーム」。ヴァーメルダム監督のクセ者ぶりを満喫したい。
ロカルノ国際映画祭コンペ出品。


↑かんこつだったい、って何。から始まってしまった・・・。

『ボーグマン』もたしかにワケわからんかったが、あれはブキミな
だけだったような。今回は、目的はなんなん!なんでそーなるん。の
連続なのに、かなり笑かしてくれるのだ。
まず殺人依頼をしてきた人物の意図がわからない。愉快犯か。なん
なのだ。しかしこの人物が、最初のほうで失敗をやらかす。ネタバ
レすると無粋なのでやめるが、現代の日常では私たちがしょっちゅ
うヤる“ミス”である。場内笑い。吹き出したよ。

で、バックスのほうの肉親やら恋人やらその友人やら、いろーんな
キャラが次々に登場するのだが、ひとりだけ、全くわからんのがいる。
バックスは、シュナイダーから狙われているので部屋の中で伏せて
ジッとしている時に、なぜか盲目の少年がガチャッとトイレに来て、
また元のドアを開けて去っていく。観客も「誰?」だし、バックスも
その方向を見てずっと「…(あ?)」という顔をしている。おそらく
彼も知らない少年なのだ。え、自分の家やで。
これも、なんかしらんが意図的な演出なのだろう。

死人も出るのに、意味わからんのに、なんかよく笑ったというか笑わ
された作品。公開されたらぜひネタバレ検索せずに楽しんでいただきたい。