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て言うほど行ってない人間の

2015/東京国際映画祭④

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『河』の主演:ヤンチェン・ラモ

『 灼熱の太陽 』(クロアチア/スロベニア/セルビア
                         
胸にズシン、と迫ってくる。
遠い国だし、同じ地域で民族間の紛争なんて経験がないけれど。

 




バルカン半島の隣り合う村を舞台に展開する3つの愛の物語。1991年
クロアチア紛争の時代を皮切りに、2001年、2011年と10年おきに
設定を変え、地域に根深く染み付いた民族間の憎しみの感情と、その
先にあるべき希望を描いていく。マタニッチ監督は、いまだ故郷に蔓
延する負の感情をはじめ、現代社会にはびこる他者への憎しみに深い
憂慮を覚えており、いわく、「不寛容に対する受容の心、そして恐怖
と憎しみに対する赦しと愛、これらの存在を際立たせるラブ・ストー
リーを映画で作ることが、今の状況に対して本当に重要なのです」。
3つの異なるエピソードを同じ俳優に演じさせることで、ひとつの愛を、
時間を超えて異なるカップルが共有している印象をもたらす。憎しみ
が支配する場所で、愛が最優先されることは可能だろうか。可能でな
ければならない、という監督の明確な姿勢が深い感動をもたらす本作
は、カンヌ映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞している。


1つ目は、異民族間のカップルの話。
おそらく付き合い始めた頃は何の問題もなく、その後に紛争が勃発し
たのだろう。彼女は隣村の彼にしょっちゅう会いに行っている。が、
彼女の兄はおそらく軍人で、家族の・村の恥だ!みたいに彼女を連れ戻
し、殴る日々。彼女も負けておらず、兄にツバを吐いたりするのだが…。
母は息子の言うこともわかるが同じ女性としてということだろうか、
少し彼女の味方。ある日、おそらく二度と会えないことを覚悟しなが
ら「行きなさい」と娘を送り出す(“おそらく”ばっかりだが、説明が
ないので推測するしかない)。幸せになるのよ、みたいに言ってたか
どうだったか。
ところが兄が追ってきてまた連れ戻そうとし、引き離された彼も諦め
ずに走って彼女を取り返そうとして、ヒサンなことに…。泣き叫ぶ彼
女。でも最悪の結果になり、立ち尽くすしかない、なんともいえない
兄の表情が印象的だった。


2つ目は、母娘と、彼女たちの家を修繕に来た男性の話。
時は10年たっており、紛争は落ち着いたようだ。故郷に戻った親子
だが土地や家は荒れていて屋根も半分くらいなかったり。そこで修
繕の男性を呼ぶのだが、その男性が元は敵民族らしい。母は割り
きっているけど娘は男を許せない。自分の父親はアンタらに殺され
たんだ、と恨んでいる。毎日毎日やって来る男。毎日毎日じっ、と
コワイ顔で見つめる娘は明らかに意識しているのに男が目を合わせ
るとそらす。まぁ、私みたいなオバチャンからしたら、なんだこの
子、どっちやねん、とイラッともする。
母にしたら、もう紛争は終わったんだから。若い男は大勢死ん
じゃって、でも修理の彼いいじゃない。くっつけばいいのに。と娘
を焚き付けてさらに娘の反発を買う。
ある日、娘は仕事終わりの男に海に連れていけとワガママを。で、
海の近くで話をするが、やはり憎しみを男に向ける。男は「だった
ら自分の家族だってオマエらに殺されたんだ」、そうだろ?みたい
に言う。うんうん、あたりまえだ。
「でも俺はそんなことは言わない」。うんうん、彼は大人だ。
娘はプンッ。なんなんだコイツ、と思ってしまうけど、私のように
平和に育ってきた人間には想像もつかない感情なのだろう。理屈で
はわかっていても。

でもまたある日、やって来た男に娘がHを仕掛けるんだよなぁ。男
はやめろやめろと振り払うが、結局はヤッてしまう。このシーン、
濃くてキョーレツ。恥ずかし〜。
この心情は、どう解釈したらいいんだろう。
最後、家の修繕がすべて終わって男は去って終わったような。


3つ目は、男と、別居する妻子の話。
帰郷した男は友人とも会い、酒を飲み、騒いで楽しんでいた。母と
も話すが、どうやらその母親に恋人と別れさせられたようだ。最初
の物語から20年、紛争はとっくに終わったはずなのに、その原因も
民族間のものなのだろうか。
元恋人の家には、こどももいる。会いたい。でも、会いに行っても
ドアを開けてくれない。何度訪ねても。
途中、道中にお墓があり、最初の物語の男性主人公の名前と1991年
没と刻まれた墓が映る。ずっと続いているんだな。
でもこの話だけ、少し希望が見えた終わりかただった。


3つとも同じ俳優が演じているとのこと、男性は全部同じ顔同じ髪
だが、女性のほうは、まるで違う人物に見えた。これ女性も全部
一緒だったんだと知ってびっくり。
知識も経験もないから解釈できないけど、真剣に画面にひっつく
ように見てしまった。やはり、迫るものがある。



『 河 』中国 (公開時:『草原の河』)  →Yahoo!映画に。
https://movies.yahoo.co.jp/movie/359759/review/5/



『 ボディ 』(ポーランド
                         
あまりイイと思えなかったのに、周囲で絶賛されていた・・・
私の見る目がないだけか。


オルガは自分の肉体を嫌い、摂食障害を患っている。オルガの父は
警察の仕事で毎日死体を見ており、もはや何も感じなくなっている。
オルガは父を憎んでいる。父は酒に頼っている。セラピストのアン
ナは、オルガの治療にあたると共に、父のことも気にかける。そん
なアンナは、実は肉体以上のものを信じていた。彼女は死者と交信
ができるのだった。人と肉体との多様な付き合い方をモチーフとし
て、肉体に寄り添うはずの精神の救済を、極めてユニークな形で描
いていくドラマである。
シリアスな現実を受け入れるためにはユーモアは不可欠であると監
督が語るように、ヘヴィな状況でも一定の軽さを保った脚本と演出
が冴えを発揮している。アンナ役のマヤ・オスタシェフスカは『カ
ティンの森』(07)に主演するなど、舞台と映画で活躍する存在。
シュモフスカ監督は本作でベルリン映画祭監督賞を受賞し、名実
ともに現在のポーランド映画界のトップランナーのひとりとなった。


えーっ。『カティンの森』見た時に、調べると実年齢より老けた感
じの方だなぁと思ったが、今回のほうがとても若く見える。
カティンの役柄のせいだったのかも。

アンナの「中絶が合法なら、こんな事は起こらなかった」というセリ
フがある。これ、私のノートに1行だけメモっていたもので、どうい
うシーンでこれが出てきたのかすっかり忘れている。うーん。でも印
象に残ったから書き留めたはずなんだ。
摂食障害若い女性たちの治療に取り組んでいるアンナ。その中にオ
ルガもいる。オルガと父は、母(妻)が死んでからずっと距離ができ
たまま。娘は父に暴言ばかり。アンナは死者と交信ができるというこ
とで、最後にオルガの母親と話せるよう試みる。が、何時間も何時間
もたって、ついに…。
そこで娘が今までになかったことを…。でも心情の変化がなぜなのか
わからない。それに、途中途中でアンナはほかの人から責められたり、
オルガからも「担当変えて」と言われて傷心で泣いたり。お墓で、不
思議なことが起こったり。

連日の映画鑑賞のため疲労で集中できなかった。そのせいか、なんだ
かな〜、で終わってしまったような。
最後になんでオルガは変わったんだろうとか、メモしたセリフのシーン
も覚えてないし、あぁあ、ちゃんとわかりたい!とちょっと悔しい作品。



『 破風 』(香港/中国)
                         
ここで出てくる女性が、単なる“男性主人公の添え物”でないのがイイ。
「ミナミを甲子園に連れてって〜」てぇのじゃないんだな。(古っ)


ロードレースの強豪、「チーム・ラディアント」に所属するミン、
ティエン、ジウォンは力を合わせ、ライバルの「チーム・ファント
ム」の妨害にもひるむことなく、台湾各地で連戦を繰り広げていた。
やがて3人は袂を分かち、個人レースで覇を競うことになる。チーム
のエースだったジウォンが先行し、力をつけてきたミンが迫る。一方、
復帰をめざす女性サイクリスト、シーヤオをめぐってティエンとミン
は恋敵となる。そして競技は次の舞台へ…。『激戦 ハート・オブ・
ファイト』(TIFF13出品)に続く、ダンテ・ラム監督、エディ・ポン
主演のスポーツ巨編。自転車レースに命を燃やす男たちの熱い闘いが
展開していくが、風光明媚な台湾の大地を俯瞰する空撮シーンも満載。
競技者の目線で捉えられたレース中のショットは圧倒的な迫力で、“武
闘派監督”ダンテ・ラムの面目躍如といったところ。K-POPグループ、
SUPER JUNIORのシウォンがジウォンを演じているのも話題となって
いる。なお、本作は米アカデミー賞外国語映画賞に香港代表として
ノミネートされている。


自転車競技に縁のない私にとっては「空撮シーンが」「圧倒的迫力〜」
と言われても、まぁまぁ、予想通りの展開で、新鮮味などもそんなに。
男たちが戦って、上がったり下がったり、でハッピーエンドだろ、って
なもんだ。ただ、恋愛対象になる女性が、アマだけど同じ競技者とい
うのがよかった。彼女も日々がんばっていて、男を支える側だとか見つ
めてるだけ、ではない。だから彼女もケガをしたりスランプに落ちたり
する。それは見ごたえがあった。

でも、ほかはありきたり。一度落ちた男性は、酔ってほかの女と部屋へ…
張り込み記者がバシャッ。彼女は傷つき…、お約束〜。
そーゆーのは正直、見飽きたよね。



『 OK Darling 』(インド)
                         
イチャイチャシーンが多い!長い!!
老夫婦のサイドストーリーはよかったな。


ゲーム業界で働くアーディティヤ(アーディ)がムンバイの会社に
移る。同僚の結婚式に参列したアーディは女性建築家のターラーと
意気投合し、とりわけ非結婚主義者という点で意見が一致。みるみ
る親密になったふたりは一緒にいたいと思うが、結婚を否定してい
るため、同棲するしかない。アーディは間借りしている家のオーナー
に女性との同居を認めてほしいと申し出るが、未婚の男女の同居と
いうことで許可されない。やっと同居できるようになったのも束の
間、ターラーは建築の勉強にパリへ、アーディも仕事でアメリカに
渡ることになる。残された10日間が刻々と過ぎていく…。
マニラトナム監督は、宗教対立やカシミール紛争などを取材した時
事的な大作を得意とするが、本作は若い男女の結婚観に焦点を当て
たラブストーリーである。音楽は言わずと知れたA.R.ラフマーン。


ん〜…“結婚至上主義”に反する話かと思ったら。(あ、ネタバレ…)
まぁ、インド映画らしく踊りのシーンが長い。
で、インドだから都会に住んでいたってまだまだ封建的な考え方が根
強く、主人公の男女はなんとか同棲にこぎつけたところで親族にバレ
たら大変な状態になるわけで。

残念なのは、結局「やっぱり結婚っていいよね」に落ち着いちゃうと
ころ。最初はお互いに「結婚なんてバカバカしい」と一致して否定し
ながら、だんだん傾倒していくのだ。自分たちが仕事でしばらく離れ
ばなれになってしまうことと、大家夫婦の姿(妻が認知症で行方不明
になる)に感動して考えを改める、のだろうけど。
私は結婚しているし結婚の良さも知っている。でもそうでない生き方
もあるわけで、「結婚したらいいのに〜」という周囲のウルサイ声を
一蹴するような、説得力ある物語もたまには欲しいかな、と思う。
これはそうなのだと期待したらスカをくらった。
日本映画ならそんなの作ってほしいかな。



『 コスモス 』(フランス/ポルトガル
                         
知識や経験が豊富で、これを「おもしろい作品だ」なんて言ってみたい。


ヴィトルドは法学部の試験に失敗し、逃げるようにポルトガルの村に
やってくる。家族経営の民宿に滞在すると、そこには躁状態の女主人、
浮世離れした夫、唇のめくれた女中、そして美しい娘がいた。ヴィト
ルドは娘に恋をするが、娘はハンサムで優秀な建築家と結婚したばか
りだった。一方、ヒモで吊るされた雀の死骸を森でみつけたヴィトル
ドは、そのイメージから逃れられなくなる…。他言語に翻訳不能とも
評されたポーランドの前衛派作家ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ
原作を、実に15年ぶりの作品としてアンジェイ・ズラウスキ監督が映
画化した。メタファーと暗示に満ち、詩と哲学を散りばめた芝居的な
口調や、誇張された表現など、観客をカオスに陥れる形而上コメディ・
ドラマである。前衛的内容に呼応するようなカメラワークと独創的な
スコアが映画の魅力を増幅させる。剛腕を発揮してカムバックを果た
したズラウスキは、本作でロカルノ国際映画祭の監督賞を見事受賞した。


形而上コメディて。メタファーと暗示に満ち、て。
何がどんなメタファーなのか。うーん。
なんせ、有名な映画監督だったり画家だったりの名前はよく出てきて、
それを主人公が口にすると無知な友人がすかさずボケるというシーン
の連発はちょっと笑えるケド。

主人公が恋した美しい娘というのも、美しい…?言われればそうかも
しれんが、チョットおかしいというか、アブナイ印象が先にたつのだ。
スズメや、動物が次々に殺されて吊るされていて、結局犯人はわから
ないし、たぶん娘なんじゃないかな〜的展開だけで。
言語はだいたいフランス語で、ポルトガル語も混在している。

最後は、主人公が宿を去る時、なぜか“娘さんと結婚するかのように
一緒に旅立つパターン”と“ひとりパターン”が同じ背景で繰り返される。
前者は妄想ということか。
あぁ、フランス映画のわけわからない部門だ。でもそういうのを見ら
れるのも映画祭の魅力である。



『 土と影 』(コロンビア/フランス/オランダ/チリ/ブラジル)
                         
環境も人々の表情も物語もダーク。その色にじわじわ包まれる。


コロンビアの辺境の地。初老のアルフォンソは、病に臥す息子に
会うために、17年前に捨てた故郷の家に帰ってくる。自分のかつ
ての妻、そして息子の妻がサトウキビ畑の労働で懸命に家庭を支
えている。元妻はアルフォンソに当然冷たい。故郷は荒地にしか
見えない。アルフォンソが家族の為にできることはあるだろうか…。
荒涼たる土地の貧しい労働者たちを厳しいリアリズムで描く一方
で、転機を迎えようとする家族の姿を丁寧に見せていく人間ドラ
マである。長き不在の後に帰ってきたアルフォンソと家族の間の
溝の大きさと、その穴を埋めていく感情の動きを際立たせるため
に、長廻しのワンシーンワンショットが多用され、観客が映画に
引きこまれる効果を上げている。焼け畑の影響で常に雪のように
舞い落ちる灰が、厳しくも美しい芸術的な奥行きを映画に与えて
いく。好調なコロンビア映画界が新たに輩出した監督による本作
は、カンヌ映画祭カメラドール(新人賞)を受賞した。


見てるだけでツラいような、でも逆に冷静に見られるような、よ
くわからない感覚。
一家の大黒柱であるはずの男は働けず動けず、灰が入ると病状が
悪化するからと暑くても窓を閉めきった部屋に閉じ込められるよ
うに生きている。幼い息子がいて、男に替わり、男の妻と男の母
がサトウキビ畑で働いて生計を立てている。でも男手と違い、女
は遅いとか効率が悪いとか言われて同じ給料はもらえない。
母は生まれ育ったこの土地を離れたくないのが本音。でも妻は空
気のいいところに越したいと望んでいる。で、口先で「あんたた
ちはヨソに行っていいんだよ」という母に気を遣い、男はとど
まっている。でも妻はそれが不満だ。そりゃそうだ〜。
妻が姑にアンタのせいだ、と後半でやっと少し爆発するところは
心が痛い。17年ぶりに戻ってきた男の父はどうするのか。ラスト
も切ない。
冒頭の、男の父が長いまっすぐな道を歩いてきて、トラックが
通って灰を巻きあげ、それを収まるまで待ってからまた歩き出す
シーンが印象的。スクリーンが灰色だか黄色だかで霞んでスゴい。
観客もそれをじっと待つ。


ドキュメンタリー調で、貧困や家族問題が淡々と描かれる。自分
に縁のない土地だが、誰が一番悪いとか、責める所在もなくどう
にもならない、少しでも良いほうに行こうとすれば誰かが悲しむ…
他人事ではないかもしれないな。



『 知らない、ふたり 』(日本)
                                         
                         
『サッドティー』を上回るおもしろさ!


『サッドティー』で男女の一筋縄ではいかない恋愛模様を描き注目さ
れた、新世代の恋愛映画監督・今泉力哉が描く、すれ違いの群像劇。
人との接点を避けている靴職人・レオンは、ある日、酔って寝てい
る女性・ソナに絡まれるが、なぜか彼女を忘れられなかった。レオ
ンと同じ店で働き、彼に想いを寄せる女性・小風。彼女に一目惚れ
する客・サンス。サンスはソナの彼氏・ジウと日本語学校に通って
いた。その講師・加奈子には車いす生活の荒川という彼氏がいたが、
ジウは密かに彼女にも想いを寄せていた。荒川が怪我をした過去に、
レオンは少なからず関係があった。お互いの想いを“知らない”男女
が一歩踏み出したとき、物語は思わぬ方向へ──。


笑った笑った。声立てて何度も笑った。
この監督お得意の、AはBに恋して、B→C、C→D、どっかでまたA
にも・・みたいな。
ネタバレすると無粋なので、ぜひ検索せずに見ていただきたい。

ただ、「あの日なにがあったのか」の謎をめぐる展開もあり、日が
戻ったりするので事情をよ〜く把握しておかないと戸惑うかも。
それと、最初は韓国人男性ふたりの見分けがつかないのでこれも
「??」になる危険が(若い人は大丈夫かもね)。

そして、ある二人は両思いかと思いきや、そんなホレたハレたの結
末ではなく(なんだその昭和な言い回しは〜)チョットしみじみ人
生の良さを感じさせるような結びになっているのがニクい。

そしてなにより、やはり青柳文子の“ほんわか感”が今回もイイ。
『サッドティー』でも彼女の雰囲気がこの作品!という気がしていた
のに。今回出演の木南晴夏はシリアスが上手すぎ。『20世紀少年
でエエな〜演技派やな〜と、以来ずっと注目していたのだが、この
上手すぎ演技が今作では浮いていた気がする。木南晴夏カップルの
物語はストーリー上必須なのだけど、このシリアスを盛り込んだこ
とが雰囲気の統一感を崩したのか、逆に深みが出てよかったのか、
どっちなんだろ。両方かもしれないし、どちらの考えも私の的はず
れなのかもしれない。
なんにせよ、めっちゃおもしろかった。