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て言うほど行ってない人間の

2015/京都国際映画祭②

『ボヤージュ』(香港)

交響詩モルダウ」の荘厳なメロディの効果もあってかひきつけ
られた、最後まで。でも、なんだったのかあまり思い出せない。
それと、ワタシ的には全裸シーンの数々はいらんかった気が。

 

いろいろなエピソードが流れる作品。ところどころに、ボカシな
しのフルヌードの男女が多数登場する。

最初の、中国文革時のモンゴル青年の話だけほかと切り離された
感じで、知識ないと難しいかな…と構えるも、そういった社会背
景よりも展開が気になって凝視してしまう。冒頭と最後に簡単な
説明が字幕で出るし。

その次からは、鬱病精神科医らしい男性が綴る物語の映像化、
といったふう。「息子の事故死に怯える女占い師、集団自殺、発
話障害の青年の面倒をみる家政婦、美しい編集者に恋する画学生
など…様々な愛と死を綴っていく。 」と映画祭HPにあるので、そ
うだったっけな、とボヤ〜と思い出すが、すっかり忘れている。
しかしレイトショーだったのに寝ることはなく、どのストーリー
もどうなるのかどうなるのかと目が離せない。なんとなく哲学的
な運びなのだけど、裸よりも、セリフが少なくて芸術的な映像が
魅力的だった。
覚えていないのに、愛と死について考えたわけでもないのになぜ
か「見てよかった」と思えた作品。

上映前に舞台挨拶があり、スカッド監督、出演者のレニ・スペイ
デルとライアン・ツーが登壇。MCはヤナギブソン
監督は異端児とされているらしい(が、私は名前も初めて知った)。
全裸にこだわった理由は「人間、生まれた時は裸で、服はあとから。
服を着ている時の人間は誰も興味がないと思う。内面を描くには、
ハダカ」とのこと。「日本映画も、大島渚監督など昔はよくヌード
があった。最近の日本映画はいい子ぶってる。冒険してほしい」、
だから自分は冒険した、とも。
司会の「捕まらなければ、裸になりますか」に「捕まっても裸に
なる!」で会場笑い。

監督は日本好きで特に京都好き、20回は来ていて、清水寺が見える
マンションを買いたい、とおっしゃるほど。
8つ割れ腹筋が自慢のライアン・ツーはラーメン好き。「この筋肉
が1パックになってもいいからラーメンを食べまくりたい!」具体的
な店舗名も次々と挙がる。
女性のレニ・スペイデルはドイツから来日、「日本食は世界で一番
おいしい、ラーメンもおいしい!前回の来日では活け造りを初めて食
べ、今回はうなぎを食べた」、加えて「日本にいても、母国みたい
な気がする」。会場驚き。
3人とも、日本が大好きのようで、とても楽しい舞台挨拶だった。

そんな後に、鬱や自殺の映画が始まる…私は死のこととか、監督が
込めた意味など考えることもなく、でも最後まで見入ってしまった
不思議な作品。


マンガ肉と僕』(日本)

う〜ん。「原作がおもしろくて映画化したかった」らしく、そう
聞いて期待したのだが…女性の悩み等も「?」なままだった。

俳優・プロデューサーとしても活躍する杉野希妃の初監督作品で、
京都が舞台。ある理由で太った女性や鬱になる女性と、気弱な男性
の奇妙な関係を描く。

三浦貴大が、自分がないんだか周囲に流されるんだか、結局相手の
ことを考えていないんだか、客として見ていて少しイラっとするよ
うな大学生を演じる。
音楽が、京都っぽいホラーみたいで笛の音がブキミに響くような?、
表現力がなくて申し訳ないが、なぜ怪談でもないのにこんな音使う?
というシーンが多い。
最初の太った女性は杉野希妃が演じ、マンガ肉ギャートルズに出
てくるような)とスナック菓子をバカバカ食べ、「私は戦ってんね
ん!」みたいな悩みを吐露して転がり込んでいた三浦貴大の部屋から
姿を消す。次に出会ったバイト仲間の徳永えりは、付き合い始めて
結婚も視野に入れ、女性の親から部屋代も、司法試験受験のための
援助も受け続けるも、だんだんと女性がおかしくなってしまう。
…なんか狂気っぽくて。
終盤で、痩せて職を持って独り立ちした杉野演じる女性と再会し、
会話しての別れは爽やかな気がするのだが。
「えーと、どういう意図でこういうストーリーに?」
ふたりの女性も3番目の女性にも何も感じないし、これらが女性の…
何なのだろう。私には感想が浮かばない作品だった。嫌悪や不快感
はないのだけど。
京都弁もちょっとしらじらしい。女の子がみんなそんなに自分のこ
とを「ウチ」って言う?とか、関西人でも初対面でやたらと「○○
や」なんて言うの少ないと思うし。
ただ、一昨年の東京映画祭で見逃し、今年の沖縄映画祭も時間が合
わなかったので今回やっと見られてよかった。

上映前に杉野希妃の舞台挨拶があり(MC:浅越ゴエ)、ずいぶん
前に撮っていろんな映画祭等で上映してきたが大人の事情でなかな
か劇場公開が決まらず、やっと来年の公開が決まったとのこと。
キャストについて「三浦貴大くんはセレブレッド?…」あれ、言葉
合ってんのかな?あれ?というような表情…浅越ゴエサラブレッド、
ですかね」「あぁーっサラブレッド!!」恥ずかしいぃーって感じで会
場も笑い。「でもセレブレッド、わかりやすいかも。セレブなサラ
ブレッド…新しい造語ですね」とゴエ。
「三浦くんは品があるし、ひとことで全部わかってくれる」と絶賛。

30歳までに監督をやりたいと思っていて、声がかかってそれが現実
味を帯び、2013年9月には脚本・キャスティング・撮影と忙しく、
アドレナリンが出っぱなしだったそう。
原作は、書いていないがたぶん舞台は東京、でも溝口健二とか京都
が好きなので、この映画は京都(ちょい滋賀県)にしたらしい。
「観光地も、地元の人しか知らない京都も出てきます」。うん、自
転車の街なかシーンは疾走感があってよかった。
太ってる時の撮影は特殊メイクで、いわゆる “肉襦袢” というヤツだ
ろうな、「まとうと性格が変わる」には、へぇ〜。やっぱり外見で
変わったりもするんだろう。

タイトルについて「マンガ肉と僕、ですからね。時々、『マンガ・
肉と僕』と間違われて、アニメだと思って来られる方が…」と苦笑。
えっ、そんな間違いかたをするのか、と私は逆に驚いた。


『美術館を手玉に取った男』(アメリカ)

“創造とは模倣である” という言葉を思い出す。
「オリジナルなんて存在しない」という彼の言葉が印象的だった。

米国20州46の美術館が騙された、贋作を無償寄贈した男を追うド
キュメンタリー。売っていないから、詐欺罪にはならない。彼の
目的は金ではないのだ。前代未聞の事件を起こした男は、何を考
えているのか。そして、どこへ向かっているのか。
騙された人々や関係者、FBI捜査官の証言も交える。

美術館側はたまったもんじゃないだろうが、素人からしたら「そ
りゃそうやろな」と納得する。
○○風に描けば、人々は有名作家○○の作品だと思い込んでしまう。
大事に大事に後世に残し、有り難がって鑑賞する “名作” ってなん
なんだろう。上映後のトークショーも、興味深い内容だった。

MC浅越ゴエ、ゲストはおかけんた服部正(過去に美術館に20年
勤務)、串野真也(ファッションデザイナー)。
おかけんたはアートプランナーの肩書きを持ち、でも漫才師なので
アーティストに引け目を感じるとか。
「主役のマーク・ランディスに共感した」と言う一方、コレクター
としては「贋作を見ると腹が立つ」とも。
奈良美智の贋作がネットオークションに出て報道されると、それ
以降、贋作が減るどころか増えた。その現象はおもしろい」と。

服部氏は「大きな美術館は権威。(その権威やプライドが?だと思
う)汚されて怒っている」でも劇中のシーンに触れ「虫メガネでピ
クセル見えるなら贋作って分かれよ!」とツッコミ。「まぁ、彼がう
まいんでしょうね」で一同納得。
「美術館としてはマークのような人は困るけど、でも、美術業界は
保身ばかりで彼の言い分に向き合っていないのは腹立たしい」。
レディ・ガガの靴もデザインしたという串野氏は「真似されると嫌
だけど嬉しくもある。贋作する価値があるってことだから」。でも
美術館の無責任さや、贋作か否かを判定する難しさにも言及。同時
代に生きた人がいなくなってくるので、判定できる人間が減ってい
るのだから。それに、バンクシー事件のことも。彼は自作を勝手に
美術館に飾って帰る人物で、美術館側は1ヶ月以上気づかないし、客
は数ある有名作品と同様に見ている。「路上で売れば “落書き” と言
われる。どう違うのか」と問題提起しているのだ。

映画は最後にマークが個展を開き、美術館側が彼と向かい合おうと
した。アーティストは基本、模倣から入る。彼はアーティストとい
うよりは「やるべきことを見つけた」感じ。その姿に串野氏の「報
われた」に一同納得。
今後は彼のHPに写真を送ったら有料で彼のタッチで描いてくれるら
しい。それはひとりのアーティストとしての仕事だ。

ネットオークションの贋作の話のとき、おかけんたが「“具体” で5倍
とか値段がついた」と話し、あー、“具体” は “やったもん勝ち” だよ
なぁ、と私は苦笑いした。
名前は知らなくてもテレビなどの報道で一度はどれかを見たことが
あると思う。具体美術協会は、吉原治良を筆頭に集まったアーティ
ストたちが、絵の具の入った瓶を何本も投げつけたり、上からの
ロープにつかまってペンキを付けた足で描いたりと「誰もやったこ
とがない手法」で次々と作品を発表していった団体。
私は若い頃、彼らのゆかりの地にある美術館で働いていて、彼らの
展覧会も開催したので何人かは生でお会いしてサインももらった。
当時でもご存命の方々はけっこう高齢だったような。私は若いし知
識もないのでマイナーな美術かと思っていた。その美術館自体がご
当地アーティストばかりの展覧会を開催していたので。全国的にこ
んな有名な団体だったなんて、30代くらいで認識しただろうか。
まぁ、抽象作品の部類だから、「えっ、これが芸術なん…。当時も
『なんやねんコレ!』って声多かったやろなぁ」などと思っていた。
好きな画家というか画風はあるけれど、私もその程度であいまいだ
し、名作とか贋作とか、どれが価値が高いなんて全然わからへんゎ。

「オリジナルなんて存在しない、全て元ネタがある」このセリフが
やっぱり響くなぁ。


『GOOD YEAR』(日本)

なんっとも不思議な映画で、私はな〜んもわからなかったのだが、
見てよかった。不思議な魅力がある。

永瀬正敏主演。東北芸術工科大学映像学科が、学生とプロの映画
スタッフによる混成チームで山形市で制作した20分の短編。
舞台は雪深いクリスマス。廃工場で何かを作る男のところへ、ひ
とりの女が偶然にやって来る。何を作っているのかも、人物の境
遇も多くが語られない。

最後は「えっ、これなに?」・・・ファンタジーのよう。すべて
を知りたいような、“ほわーん”のままでいいような。人生の苦渋
が出ている孤独な永瀬正敏の顔がイイ。
なんせナゾの多い映画。現れた女性は元妻で、なぜか人魚もチラ、
と出てくる。(男が妻の写真を見て「さっきの、お前だろ」とい
うセリフでなんとなくわかる)でも女性の外見は全然違うし女性
は男と初対面っぽい感じなのだけど。

上映後のトークショーには、林海象監督、出演者の月船さらら
登場。永瀬正敏からの映像メッセージも届き、またスクリーン
いっぱいに彼の顔が…二度トクした気分。

この20分の短編の、前と後編を作る企画があるそうだ。来年4月
か5月くらいに60分くらいで撮ろうと思う、とのこと。
妻を亡くしている主人公の男は原発作業員…放射能事故の時、取れ
たボルトが多量に降ってきて、それを留める男たちがいたという実
話(高濃度の放射能が漏れているのに!)があり、主人公はそのひ
とりという設定。その日は夫婦の結婚記念日で、妻は化粧して家で
待っていた…。
本来は別の映画として永瀬正敏で撮ろうと思っていたが、この撮影
中に彼から「あのお話はこの作品の話なのでは」と言われ、で、こ
の前編の構想を…なるほど。
ほぉ〜っ、とMC浅越ゴエも観客もこのトークショーが嬉しくなる♪

ただ、原子炉を作って撮るのはお金がかかる!誰かスポンサー! で会
場笑い。前編60分撮ったらつなげて1本劇場公開できそうだから2本
まとめておわりにしよう、でもこの後編の構想もあるとか。

人魚については監督が人魚好きということと、不死の象徴でもある
から。妻がよみがえってほしい、という願いも。
月船さららは「撮影は現場でその都度で、人魚のヒレもその場で付
けてみて『かっこいいな』と思って決まった」とか。
脚の角度などビミョーなところにこだわったそうで監督が「脚持って
いい?」などと聞いてキワドイ感じになったとかならなかったとか。

永瀬正敏は、演技について何も聞かない俳優らしく、台本に「なん
だかわからない機械がある」とだけなのに、ずっとその「なんだか
わからない」ものをイジッていたとか。浅越ゴエの「なんだかわか
らないものって、それを作らされる美術さんが一番困りますね〜」。

長年、林監督の映像撮影をしている長田勇一氏も加わり「この映写
機は古いですね」など、専門家ならではの見解が。「大きいスクリ
ーンで、月船さんの顔に髪の毛1本がかかっていたのが気になって…」
監督は「映写機の違いがわからない…髪の毛も気づかなかった」と。
MCも「えっ、そんなのお客さんだってわかりませんよねえ?さす
が、プロは細かいところまで見ているんですね」でしめたが、私も
髪の毛気づいたよ?「あれ、こういうの、撮る側が気にして直した
りしないのかな〜」と思った。最前列だったからかなぁ。

質疑コーナーがあり、観客からホメ言葉として「前後編などなくて
も、この20分で十分だと思う」という意見が。それもナルホド。監
督も、ありがたいお言葉と受け取りつつ、「前編といっても独立し
た作品になるし、まだ撮ってないけど完成して見ていただければま
た印象が変わるかも。期待していて」との返答。
また、ふたりのキャスティングについて「永瀬くんは、まず脚本を
見ないとOKしない方。でもよく話す間柄なので、読んでみてーと渡
した。彼がピッタリだと思った。それから相手を決めるのに、いろ
いろ候補が挙がった。月船さんは、2回ほど会っていて出演映画も
見ていて、元宝塚だしいい意味で派手な人。映画の女性はユーレイ
なのでフツーの人じゃダメ。艶やかであやしい感じがいい。一度、
宝塚(の派手な雰囲気)に戻ってもらおうと思った。永瀬くんは月
船さんと初めてなので、予定調和にならないのもよかった」。

来年、撮影したら次回の京都国際映画祭に持って来れるかも、ぜひ
持ってきます、とおっしゃる監督。わぁ、期待しちゃうな〜。
ということで、公開されるならずいぶん先になりそう。
映画祭ならではの作品が見られて、裏話も聞けて幸せ!


この国の空』(日本)

なんか、あらすじにダマされた感じ。

二階堂ふみ主演。里子は戦争という極限状態のなか「結婚もできな
いまま、死んでいくのだろうか」という不安な想いと同時に覚悟を
決め、傍にいた妻子ある男・市毛との許されぬ恋に突き進む。

↑ …ってあるから冒頭5分とは言わないが、遅くとも30分後にはそ
うなるんやろと思うやん。(あれ、私だけ?)
たしか1時間以上たって、かなり終盤でそーゆー関係に。遅っ。
ということで、メインは戦時中の生活。逃げ惑うようなシーンは
ほとんどないが、転がり込んできた伯母との生活や近所の方の事情
等、興味深かった。しかし、やはりスカされた感は否めない。
隣の男・市毛とのことを母親が娘に助言するシーンは「そんなん、
言うか?」とおかしすぎて笑いそうになった。

それと、この映画祭では今回、“バリアフリー上映”という、セリフ
もそれ以外の「蝉の声」や「(ドアの音)ガチャン」などの音も字
幕で出るものだった。しかし、それまでさんざん「蝉の声」と出て
いたのに、主人公の里子と男性が神社で今にも抱擁しようと盛り上
がる(?)ところ、蝉の声もどんどん大きくなって盛り上がって(?)
いくのに、その時だけ…字幕ナシ。なんで。逆に笑えた。

まぁ、男女のそこんところはそれくらいにして。人々の生活では、
伯母が邪魔者扱いされることや、近所の高齢男性が離れた地で暮ら
す娘夫婦の家に引っ越す予定が結局ナシになった(娘に嫌がられた)
ことも印象に残った。大変だから助け合おう、なんて肉親でも難しい。


舞台挨拶 登壇:荒井晴彦監督、MC:浅越ゴエ

監督「戦後70年だから成立した映画。降伏するならもっと早くして
くれ、と思うけど、天皇のとかあぁいう映画のほうが客が入る(苦
笑)」と、同じ時期に公開された『日本のいちばん長い日』を明ら
かに引き合いに出していた。

30年前に原作を読んで映画化したいなとは思っていたけど自分が監
督するとは思わなかったとのこと。爆撃などないし、竹やりのシーン
もない。若い人が見ても「?」と思うのではないか、庶民の暮らし
ぶりばかりで、とも。

MC「ごはんのシーン、おいしそうですね」「いや、まずいですよ」
会場笑い。役者が食べるからたぶんおいしくしてある、ごはん盛り
すぎですよねと苦笑。

(さて、私は笑いそうになった川原の母子のシーンについて)
「わりとうまくいったと思う。長回しで1テイクでOK」セリフの母
親の矛盾は、半分は娘の背中を押しているんですよね。
MC「アンタが行かないと私が行くわよ、みたいな」会場笑い。
監督「そういう話をしたら二階堂ふみが『えー私お下がりやだ』とか
言ってましたけど」笑い。
(もともと妻子持ちだからお下がりじゃん、と私は心でツッコむ)

演技指導などあまりしていない、歌うとき元気よく、くらい。
「どうしてですか」っていちいちうるさいんだよ。彼女若いしね、
おじいちゃんと孫みたい。

ラストカットは、男は終戦を喜んでいるのに女は…終わってよかった、
じゃない、よくない。MC「あのあと里子はどうなるんでしょうね」
吉本がお金出してくれたら続編作る、まぁ、女性のほうが後引かな
いのでは。僕だったらさっさと引っ越す、には会場笑い。
女が意を決して男の部屋へ行くシーンではトマトが出てくるが、MC
「食べて、ってトマトをなのかアタシをなのか」強いて間にトマト
をかませたそう。長谷川博己はトマト2〜3個食べたそうで「あれは
ちゃんと食べてる」。
1個落ちるシーンがあるが「うまく落ちなくて」笑い。それでテイ
ク重ね。「電気(部屋の照明)の蛾もうまく撮れなくて」けっこう
蛾が飛ぶアップが出てくるが、助監督が蛾を探しに行ったそう。
MCの、あの蛾は名優ですね、みたいなコメントに会場笑い。
「吉本役者を使わない吉本映画は珍しい、いや申し訳ない」と内情
も話してまた会場の笑いを誘ったのだった。


私の勝手な見解かもしれないが、監督はなーんかヤル気なさげで
「この作品をぜひ見てほしい!」とか「ここにチカラを入れましたっ!」
などというような押しがなかった。あまりこの作品が好きじゃない
のかなぁ。若くないから熱くならなくても、という冷静な考えなだけ
かもしれない。
そんな感じで冒頭からトークが弾まなそうだったので、浅越ゴエ
がうまく盛り上げて笑える内輪話もいっぱい引き出してくれた。
さすがだ〜。
映画は賛否両論ありそうだけど、あらすじにダマされなかったら、
イイ作品だと私は思うな。勝手に「ダマされた」と思ってるだけか…。